昨年の「物語力」から一転、AIは「使うか」ではなく「どう生きるか」のフェーズへ

昨年のカンヌライオンズ2025では、「物語力がブランドを強くする」というテーマが強く印象に残りました。テクノロジーが変化しても、ブランドの核となる信念は変わらない、というメッセージです。しかし、たった1年で世界の状況は大きく変わりました。2026年のカンヌ会場は、もはやAIを「これからどう使うか」を議論する場ではありませんでした。

世界のトップブランドのマーケターたちは、すでにAIを企画プロセスの中に当たり前のように組み込み、インサイトの発見からアセットの量産まで、キャンペーンの作り方そのものを変えていたのです。「AI時代にどう備えるか」という問いではなく、「AIとともにある現実の中で、人間は何をするか」という、より本質的な問いが今年のカンヌライオンズ全体を貫いていました。

同時に、クリエイティビティの議論が「感性の話」にとどまらなかったことも非常に印象的でした。多くのCMO(最高マーケティング責任者)がCFO(最高財務責任者)との対話を語り、ブランド投資がビジネスの数字にどう結びつくかを具体的に示していました。実際に、カンヌライオンズの受賞企業を対象にした調査では、クリエイティブな成果を上げた企業は受賞から1年以内にEBIT(金利・税引前利益)が平均2.7%増加し、時価総額が4.7%成長しているというデータも示されました。クリエイティビティは、もはや経営指標に直結する重要な要素として認識されているのです。

このレポートでは、Mt.MELVILのビジネスマネージャーであるMutsumi Gustavich氏が現地で得た一次情報をもとに、単なるセッションのまとめではなく、「日本の企業マーケターが明日から考えるヒント」として、世界がすでに到達している地点と、私たちが向き合うべき問いをカジュアルにお伝えします。

AIは「便利屋」ではない!世界の現場で起きていた驚きの変化

日本ではAIというと、「文章を書いてもらう」「画像を生成する」といった、あくまでツール的な使い方を想像する人が多いかもしれません。しかし、今年のカンヌライオンズで出会ったマーケターたちは、AIをまったく異なる方法で活用していました。

世界のトップブランドにとって、AIは単なるアウトプットを作る道具ではなく、企画プロセス全体を変革する「エンジン」として機能しています。例えば、化粧品大手のL’Oréal(ロレアル)は、「消費者ジャーニー」「マーケターのジャーニー」「従業員のジャーニー」という3つの柱を掲げ、経営レベルでAI導入のロードマップを設計しています。なんと116年分の知識をAIに学習させ、24時間稼働の美容アドバイザー「Beauty Genius」を展開しているというから驚きです。

また、ファッションECのZalando(ザランド)は、Met Gala(メットガラ)が開催された翌日にはAIを使って関連アセットを構築し、わずか24時間以内にキャンペーンを公開しました。これはもはや「次のキャンペーンをどう作るか」という話ではなく、「いかに文化のスピードに追いつくか」という問いが、ビジネスの現場で問われていることを示しています。

AIが速くなればなるほど、人間にしかできないことの価値が上がる

しかし、ここで非常に重要なポイントがあります。AIがどんなに速く、どんなに多くのことをこなせるようになっても、人間にしかできないことの価値が劇的に上がっている、ということです。

P&Gのマーク・プリチャード氏が語った事例は、この点を鮮明に示しています。米国で大成功を収めた食器洗い洗剤「Dawn Powerwash」を、英国のFairyブランドとして展開したところ、見事に失敗に終わってしまいました。その原因は、英国には「食器を洗う前に水に浸け置きする」という、深く根付いた文化的習慣があったことでした。

プリチャード氏はこう語ります。「AIなら数百万のデータポイントを分析できたかもしれない。しかし英国人が皿を浸け置きするという文化的儀式は理解できなかったはずです。それを見抜くには、人間の観察、共感、そして直感が必要なのです。」

この言葉は、AIが万能ではないということを言っているのではありません。むしろ、「人間がやるべきことが何か」を明確に示しています。AIが文化を理解できないからこそ、文化を読み解く人間の役割が際立つのです。この洞察をもとに「Fairy Skip the Soak(浸け置きをスキップできる)」というブランドアイデアが生まれ、Fairyブランドは2桁成長を達成しました。

AIは速く動けます。しかし、そのAIが「どこに向かうべきか」を決め、方向性を指示するのは、やはり人間なのです。世界のブランドは、このAIと人間の役割分担をすでに実践していました。

キャンペーン制作は「バッチ処理」から「継続的なフロー」へ

もうひとつ、カンヌの現地で強く感じたのは、キャンペーン制作のスピードが劇的に変化していることです。

かつてのキャンペーン制作は、ブリーフを書いて、エージェンシーに依頼し、絵コンテを待って、修正を重ね、テストして、ようやくメディアに出すという、数ヶ月、場合によっては1年かかる「バッチ処理の時代」でした。しかし、プリチャード氏は、この時代はすでに終わったと断言しました。

今は、数分、数時間、数日の単位でインサイトを発見し、コンセプトを作り、アセットを量産する「継続的なフロー」の時代です。P&Gでは、小売業者から「来月のスーパーボウルで複数ブランドを使った施策を」と依頼を受けた際、AIツールを使ってわずか20分でアイデアを形にし、6週間後には実際にビジネスを動かしたという驚くべき事例も紹介されました。

これは決して、人間の仕事を減らすための話ではありません。むしろ、クリエイターが「何を考えるべきか」という本質的な問いに集中できる時間を増やすための変化なのです。スプレッドシートの入力、データの集計、アセットの量産といった作業をAIが担うことで、人間はより創造的で戦略的な仕事に時間を使えるようになります。

「AIが下流を動かすからこそ、上流の人間の判断がより重要になる」。これが、今年のカンヌライオンズで繰り返し聞こえてきた言葉の本質でした。

単発キャンペーンはもう古い?ブランドを強くする「一貫性」という武器

「新しいキャンペーンを投下しても、なかなか顧客のロイヤリティが高まらない……」そんな悩みを抱える企業マーケターは少なくないのではないでしょうか。今年のカンヌライオンズは、その理由をデータで突きつけてくれました。

マーケティング科学の世界的権威であるマーク・リトソン氏とバイロン・シャープ氏が今年初めて同じステージに立ち、長年の論敵である二人が珍しく合意した点がありました。それが「一貫性(Consistency)」の重要性です。

リトソン氏はこう語りました。「大企業のキャンペーンの平均継続期間は30〜40日に短縮されている。しかし、ブランドエクイティを構築するには10年かかる」。そして、耳の痛い言葉を続けました。「あなたが自分のキャンペーンに飽きているのは、一日中それを見ているからです。消費者はあなたのブランドに年に2回しか気づかない。吐き気をこらえてやり続けることが必要なのです」

これはデータが裏付けている事実です。日用品(FMCG)カテゴリーでは、今年の売上の半分は「過去12ヶ月以上そのブランドを買っていない人」から生まれると言われています。つまり、消費者の頭の中にブランドが浮かぶかどうかが購買を左右するにもかかわらず、キャンペーンをコロコロ変えてしまうと、消費者はブランドを見つけられなくなってしまうのです。

「95対5の法則」と長期的な視点

もうひとつ印象的だったのが「95対5の法則」です。今まさに購買を検討している消費者は、カテゴリー全体のわずか5%に過ぎません。残りの95%は、今は買わない人たちです。多くの企業がこの5%に向けた短期的な獲得施策に予算を集中させがちですが、将来の95%に向けてブランドを記憶に刻み続けることこそが、長期的な成長の源泉だというのです。

この法則は、Unilever(ユニリーバ)の事例が証明しています。155年前に発売されたヴァセリンは、製品を何一つ変えていません。それでも近年カンヌライオンズでも評価され、2026年現在も2桁成長を続けています。彼らは、消費者が日常生活の中で自発的に行っている「ヴァセリンの意外な使い方」に耳を傾け、それをキャンペーンにしました。ブランドの核は変えず、語り方を時代に合わせ続けた結果が、この成功につながっているのです。

ROIの定義を変え、経営の言語で語る

では、一貫性を保ち続けることの価値を、どうやって社内で証明すれば良いのでしょうか。これは多くのマーケターが悩む問いです。

今年のカンヌライオンズでは、その答えとしてROI(投資収益率)の定義を変えるという視点が繰り返し語られました。P&Gが語ったのはシンプルな言葉でした。「霜の降りたフロントガラスで運転するのをやめろ。測るのは小売の売上成長だけでいい」。複雑な中間指標の議論に時間を使うよりも、施策を打って売上が動いたかを直接見る。メディアとコマースが融合した今だからこそ、それが可能になっています。

VisaのCMOもこう語っています。「ROI分析とブランド指標を組み合わせてCFOを動かした。大切なのは、マーケティングの言語ではなくビジネスの言語で話すことだ」

一貫性を保つことはコストではありません。それ自体が、最も効率的な投資なのです。世界のブランドはそれをデータで証明し、経営の言語で語り始めていました。

ロボットはブランドを作らない。人間にしかできない「文化を読む力」と「感情を動かす力」

AIがコンテンツをいくらでも量産できる時代に、人間の価値はどこにあるのか。今年のカンヌライオンズで最も繰り返し問われたのが、この問いでした。

その答えを出したのは、意外にも世界最大の消費財メーカーのトップでした。

P&Gの最高ブランド責任者であるマーク・プリチャード氏は、セッションの締めくくりにこう言いました。「テクノロジーやツール、スピードがどれほど進化しても、クリエイティビティはいつの時代も深く人間的な営みであり続ける。ロボットはブランドを作らない。あなたが作るのだ」

同じ週、Google DeepMindのCEOであるデミス・ハサビス氏も、AI研究の最前線に立つ人物として同じことを語りました。「クリエイティブな作品のクラフトと魂は、人間のクリエイターから来る。それが近いうちに変わるとは思っていない」

技術の世界で最も進んでいる人間が「人間の役割は変わらない」と言う。これは希望的観測ではなく、AIの限界を誰よりも深く知っているからこその言葉だと感じられます。

では、人間にしかできないこととは具体的に何なのでしょうか。今年のカンヌライオンズで見えてきたのは、大きく二つです。

1. 文化を読む力

第2章でも触れましたが、AIはデータを分析できても、人間の深い文化的習慣や感情の機微を理解することはできません。英国人が皿を浸け置きする理由も、Z世代が孤独を感じながら本を読む理由も、データの裏側にある人間の真実は、観察と共感からしか生まれません。AIがどれだけ進化しても、この「文化を読む力」は、人間特有の強みであり続けるでしょう。

2. 感情を動かす力

85年の歴史を持つラグジュアリーブランドCoach(コーチ)のCMOはこう言いました。「トレンドは変わる。しかし人間のニーズは変わらない。表現したい、所属したい、理解されたいという欲求は、時代を超えて普遍だ」

Coachは今年、Z世代に向けて「Explore Your Story」というキャンペーンを展開しました。自分の読んでいる本をバッグに付けて表現するという、シンプルでありながら感情に訴えかけるアイデアです。結果として、キャンペーンコンテンツの90%はブランドではなくコミュニティが作り出し、Z世代のカテゴリー平均の8倍となる29%のトップライン成長を達成しました。「最高のストーリーを思いついた者が勝つのではない。オーディエンスを信頼し、共に物語を紡ぐ者が勝つ」という言葉が、その結果を証明していました。

そしてもうひとつ、忘れられない場面がありました。ミュージシャンでありドキュメンタリー映画監督でもあるクエストラブ氏が、作家のマルコム・グラッドウェル氏とステージで対話したセッションの最後、彼はこう言いました。「今日は一日中AIについての質問に答えてきた。だからこそ思う。二人の人間がただ面と向かって話す、その新鮮さはこれからも価値として残り続けるのだろうか」

この言葉には、会場全体から満場の拍手が起きました。AIがあらゆるコンテンツを生成できる時代だからこそ、人間が人間に向けて作るものの価値が際立つ。ユニリーバはそれを「Poetry and Plumbing(詩と配管)」と表現しました。AIが配管(下流の量産・効率化)を担うからこそ、人間は詩(センス・判断力・感情を動かすクラフト)に集中できるのです。

ロボットはブランドを作れません。しかし、ロボットがいるからこそ、人間がブランドを作る意味がより深くなる。今年のカンヌライオンズは、そのことを明確に証明していました。

縦割り組織を超えて!マーケターは「オーケストレーター」へ進化する

今年のカンヌライオンズで複数のCMOが語っていた、もうひとつの共通テーマがありました。それは、「マーケターの役割が根本的に変わっている」という現実です。

Marriott(マリオット)の最高商務責任者であるアンディ・カウフマン氏はこう言いました。「組織は縦(垂直)に設計されている。しかし仕事は常に横(水平)に動く」

マーケティング、営業、データ、テクノロジー、財務。それぞれが壁を作って自分の領域にとどまる限り、消費者に届く体験は断片的になってしまいます。マリオットでは、この課題を解決するため、各部門のリーダーの隣に並走する「Solutions and Enablement」チームを新設しました。ITに依頼すれば3年かかる仕組みを数日で解決し、マーケターを事務作業から解放して「売上に直結する仕事」に集中させるためです。

VisaのAPAC CMOであるダニエル・ジン氏は、さらに踏み込んだことを言いました。「私はトップ20のMBAを卒業し、コトラーの教科書通りにキャリアを積んできた。でもその育成モデルはもう機能しない。AIやデジタルに関する本当のノウハウは、20代や25歳の若い世代の方が圧倒的に持っている」

これは自己否定ではなく、組織の再設計の話です。シニアの役割は、過去の成功体験を守ることではなく、若い世代の実行エネルギーが最前線に出られる構造を作ること。そのためには、部門の壁を超えて全体を見渡し、調整し、つなぐ「オーケストレーター」としての視点が必要だというのです。

Diageo(ディアジオ)のEMEA CMOはこう語りました。「データが高度化し、クリエイター、メディア、コマース、テクノロジーが複雑に絡み合う時代に、一人の人間がすべてを知ることは不可能です。だからこそ今求められるのは、その複雑さをCFOやサプライチェーン担当者に向けてシンプルに翻訳できる能力です」

専門家である前に、翻訳者であること。自分の担当領域を深く知りながら、隣の部門の言語でも話せること。このスキルは、日本の縦割り組織の中で働く多くのマーケターにとって、きっと響く言葉なのではないでしょうか。AIが仕事の一部を担うからこそ、人間は全体を見渡す役割に移行できる。それはマーケターにとって、仕事が減るのではなく、より本質的な仕事に集中できるチャンスなのです。

日本のマーケターへ:世界はすでにここにいる

カンヌライオンズから戻るたびに、現地レポートを執筆したMutsumi Gustavich氏が思うのは、「なぜ日本のマーケターにこそ、ここに来てほしいのか」ということだそうです。今年は特にその気持ちが強くなったと言います。

円安が続く日本において、企業がこれからも成長し続けるためには、国内市場だけを見ていることはもはや選択肢になりません。グローバルに通用するブランドを作ること、世界の消費者に選ばれるキャンペーンを構築すること。これは一部の大企業だけの話ではなく、あらゆる規模の企業に突きつけられている現実です。

では、グローバルに評価されるキャンペーンとは何か。今年のカンヌライオンズが示した答えは、意外とシンプルです。

  • AIを道具としてではなく「エンジン」として使いこなすこと。

  • 短期の単発施策ではなく、長期的な「一貫性」に投資すること。

  • 縦割りの専門家ではなく、横断的な「オーケストレーター」として動くこと。

  • そして何よりも、データでは掴めない人間の「感情」と「文化」を深く理解すること。

これらはすべて、特別な予算や組織規模があれば実現できることではありません。まさに「マインドセット」の問題なのです。

世界のCMOたちが語っていたのは、華やかな成功談だけではありませんでした。CFOを説得する苦労、組織の縦割りを壊す難しさ、AIの進化に追いつくための日々の試行錯誤。それでも彼らが前を向いているのは、クリエイティビティがビジネスの成長に直結すると信じているからです。そしてその信念を、データで証明し続けているからです。

日本にも、世界に届く物語を持つブランドは必ずあります。それを世界に届けるための視点と、実行する勇気。その両方を持つマーケターが増えることが、日本の経済の未来を変えると、Mutsumi Gustavich氏は現地で強く感じたそうです。このレポートが、その景色を少しでもお届けできていれば幸いです。

執筆:Mutsumi Gustavich(Mt.MELVIL ビジネスマネージャー)
Cannes Lions 2026 現地取材(2026年6月22日〜26日)

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マウントメルビル株式会社について

マウントメルビル株式会社は、東京(本社:東京都渋谷区、CEO/エクゼクティブプロデューサー:山脇 愛理)とロサンゼルス(Mt.MELVIL,Inc:Los Angeles, CA、CEO/エクゼクティブプロデューサー:村田未来子)を拠点に、広告やオリジナルコンテンツの制作、戦略まで手がけるクリエイティブプロダクションです。プロジェクトを日本から世界へ、また世界から日本へ広げていくための良きパートナーとして、経験豊かなプロデューサーチームがあらゆる局面でサポートしています。

ウェブサイト: https://www.mtmelvil.com/